知覚とは、人間を含めた動物が、五感から刺激(感覚)を受け取り、それが何なのか脳で意味づけ(認知)することです。
「知覚」に対して「感覚」とは、眩しいとか臭い等の単純な感覚刺激で、それが何なのかは意味づけ(認知)がされていない状態です。
人間はまず「感覚」で全体を捉えて、関心のあるモノだけ「認知」して「知覚」として記憶するパターンでモノを見ているのでございます。
つまり、人間が何かを見た時に眼の水晶体を通して網膜に結ばれた像は、カメラと違って全部記録されるわけではないのです。
最初は「感覚」として捉えて、その中で自分に関心のありそうなモノだけ認知して「知覚」として記憶しているのです。
そこで初めて「見た」ということになるのでございます。
まず最初に脳が認知するのは、動きの速いモノや人の顔などがあげられます。
これは危険をいち早く察知して避けたり、顔で敵か味方かを判別するために、誰もがもっている習性なのです。
それ以外のモノは、関心のあるモノだけ認知され知覚として記憶し、関心の無いものは知覚として記憶されずに、見ていないことになります。
簡単な例をあげると、毎日何度も目にする自分の腕時計も、時間(長針と短針の位置)は見ていても、時計そのもののデザインは見ていないことが多いと思います。
このように、人間は、網膜に写った像のほんの一部しか見ていないのが現実なのでございます。
さて人間に対して、カメラは光学記録装置なので、物理的な世界を全て写し取ります。
つまりレンズを通ったモノは、イメージセンサー(撮像素子)により全てが記録されるのでございます。
そこで、人間は知覚したモノしか見えていないので、「見えなかったモノが写っている」と現象が日常的に多発します。
逆に言えば、写真に撮れば、見えなかったモノ(関心がなかったモノ)が見えて来るのです。
それがまた写真の楽しさでもあります。
よく写真を撮る時に「レンズの眼になれ」と言いますが、それはすなわち「関心のフィルター」を捨てて「先入観や既成概念なく被写体を見ろ」と言う事なのでございます。
そうすれば、写真に近い見え方ができるのです。